41章 重なった思惑
さて、死人を相手にするとなれば火と霊の加護を付加するか。これが一番効率が良い。
呪文を唱え剣に手をかざす。
死して尚動く者を葬る為だけに編み出された魔力付与の呪文、火葬幻華。
火葬幻華をして剣には変化は現れない。剣が炎を纏っていたら持っていられるものでもない。
剣に触れた者に業火の幻を見せ、再起不能にさせるか同士討ちをさせる。死者の体に物理技は効かない。
死んだばかりの遺体は血を流して剣を振りかざしてくる。
その姿は異様でそうそう直視できるものでもないのだろう、常人ならば。
だが俺はそれを作ってきたほうだ。今更それに戸惑いも嫌悪もない。
剣を引き抜けば、その死人の身体からとめどなく血は流れる。だが、それも傷口が広がっただけのこと。
死んだことで身体中に廻る神経は存在する意味を消失した。死体には血も骨も残っているが。
刺しては引き戻すことを繰り返せば、俺の足元と外套の裾は血に染まった。それに滑るヘマはしない。
傷が癒されることはないが、いくら斬ろうと倒れることもない。さながらそれは操り人形のように。
だがこの死人には操り主と人形を繋げる糸がないらしい。あるのは死ぬ直前の憎悪のみのようだ。
これは、今まで俺がお目に掛かったことのない術系統だ。何が止めの一撃となるのか見当もつかない。
しかし。随分と感情的に動いているようだ。怒声から覇気の抜けたような奇妙な声をあげている。
操り主によって体を操られているが、執拗に武器を振るうのは執念とも呼ぶべき憎悪によるものか。
確かに、神経が死んだ肉体を操るのは何者かだが、襲いかかる時にあげる奇声は死者の意志。
憎悪の感情を持つ。それは脳がまだ少し動いているということになるらしい。
とりあえずは付加魔法によって凌げるな。判断を下すのに掛けた時間は数十秒。
背後から迫る対の剣を弾き飛ばすのには十分な余裕だった。続けざまに剣を横に薙けば、二つの胴を分断している。
四方八方を囲う全ての存在が敵であるのならば、一切の躊躇も必要ない。そう、思考すらも放棄した。
背後からの凶刃を弾き返し、間髪おかず振り戻す。それだけで首級は宙を舞う。
仰向けに倒れた顔のない遺体と墜落するそれを目で追えるほどの暇は与えられない。
見る間には別の奴が跳びかかっているからだ。だが、それの軌道を読むのには十二分の空白が存在した。
「火葬幻華のみせる幻にはまったか」
俺が行使した術の成果が現れ出したようだ。剣で斬り付けた死人は攻撃対象を変えた。
最早、闇通りは静謐さとは無縁の地帯と化していた。
断末魔と共に奇声が上がる。活動を停止した合図と未だ操り糸が途切れていないという証左は錯雑しつつあった。
交戦していると、死んだばかりの死体にはまだ人間の時の戦い方が残っているということに眼がいく。
類のないほどに死人は生前の意思というものを原動力としている。挑発にも乗るかもしれないな。
「次、まとめてかかってこい」
剣先に触れた瞬間に火葬幻華は発動する。何も骨を切る必要はない、神経経路を傷つければ良いだけのことだ。
効果が現れるのは触れてから数分かかる。一々、個体を相手にするよりも纏めて相手にしたほうが早い。
俺の思惑は外れることなく、囲うようにして一度に十数体もの死人が迫った。
その全てに刃先を叩きつける。剣圧で死体が吹き飛ぶ。またそれを繰り返す。
それが止まるようになる頃にはあたりには肉塊と血溜まりしかなかった。
まともに生きていると言えるのは俺と、あいつ。清海は起きたらどういう反応を見せるだろうな。
泣き叫ぶのかそれとも俺相手に説教でもするか? だが、どちらにしろ最後は同じことだ。
俺の手にかかることには違いない。俺の邪魔をするなら斬る。
いままで何故わざわざ生かしていたのかもわからない。役に立たないのならば殺した。
今までずっとそうしてきた。今殺したところで何も感じないはずだ。今更何を感じることがある。
清海の身体がわずかに動く気配がした。あいつの動きは背をむけていても、手にとるようにわかる。
果たして、起きた瞬間に瞳に映るこの光景にどう反応をみせるのか。
怒りか、嘆きか? それとも泣いてみせるのか? なんだって良い、その顔を歪めるのなら。
「……起きたか。清海、お前は」
『――ガッ!』
不意に俺の背を剣が貫通した。振り向くまでもなく理解したのは、腹から刃が姿を現したからだ。
数秒、目前が赤く染まった。一色を除いては何も映らぬ視界の中で俺は一瞬だけ戸惑った。
何故だ、全て再起不能にまで追いこんだはずだ。気配は俺とあいつのものしかなかったというのにか?
いや。状況を疑うべくもない。俺の行いを考えてみろ、こうなるだけの可能性は一つ残されていた。
迂闊だった。こうならないという確証は、あいつが意識を失った時点で全くなかったというのに。
確認には首だけ回せば足りる。背後に立つそれは、まだ次の行動には移らないようだ。
振り向けば俺の予感したとおりに、剣の主は清海だった。
そう、清海にだけは俺も何の対策も講じていなかった。唯一の失策を、死人の操り主は容赦なくついていた。
死人を操っても俺は倒せないと最初から踏んでいたかのように。
清海は何も言わず無表情のまま俺の身体から剣を抜いた。当然だ、あいつは気を失っているのだから物言わぬ器に過ぎない。
俺は即座に後ろへ跳んで間合をとった。
顔を覗きこんだとき、清海の瞳は焦点が虚ろだった。見れば近くには死体の手が転がっている。
それを目にして憶測は確信に結びついた。死体の剣があいつの肌に触れたな。感染型なのが仇になった。
背の傷はあまり深くないが、それでも動きは充分制限されることになる。
この状態であの術展開の速さと発動する魔法の威力を鑑みると、呪文詠唱が響いた後で思考する猶予など全くないな。
清海は呪文を詠唱しながら剣を振かざしてくる。剣を弾き飛ばすことは造作ない、だが。
「隙がなくなれば厄介なだけだな」
「――よ、振りそそげ!」
互いの剣を弾き飛ばし、俺は清海の後ろに回りこむ。首を叩くと簡単に俺の腕の中に倒れ込んできた。
それを抱えてなるたけ遠くへと地を蹴った瞬間、幾重もの柱が地へ叩きつけられるような雷鳴が響き渡る。
剣を投げ出したのは正解だったな。もし、俺と清海のどちらかでも手にしていたならば避けきれはしなかった。
「……それにしても、脆い」
清海はまた動かなくなった。あっさりと終ったが、しかし残した痕跡は凄まじいものだった。
だがこいつの落とした雷撃は肉塊も骨も、血溜まりさえ焼き焦がした。
全てを灰塵に化すだけの威力があった。生も死も関係なく触れたもの全てを消滅させるのは、神の裁きにも等しい。
一体どこまで魔力が高ければ気が済むんだ。いかな宮廷魔術師でもあの詠唱でこれほどの威力は引き出せないというのに。
こんなのがあの性格でホイホイいたら今頃、人の世は終焉を迎えているところじゃないのか。洒落にならない。
だが、なぜ俺はこれほどの危険能力者を殺さなかった? 手刀とはいえ、加減を違えれば死に至らせることもできた。
そうであるのに結果として殺さず、清海は俺の腕の中にいる。殺せなかったというのか、俺は。
清海が剣を振りかざしたあのときですら。ふとしたときに見せる笑顔が視界の端にちらついて消えなかった。
それで力は入らなかった。あれを思い出すと気が抜ける。
あの表情が歪めば良いとすら断じていたはずだ。なぜ、あの感情のままにあれと俺は望んだ。
本人すら気づいていないような笑みを脳裏に浮かべて俺は何を考えた。
今更腕の中から放すのもおかしなことに思えた。だが、ずっと抱えてのもだるい。さてどうするか。
「……ああ」
また起きる前に火葬幻華を取り除かなければこいつを気絶させた意味がない。
また魔法を使われるのは厄介だ。光ほどじゃないが雷も俺の不得意とするものだからな。
「清海はじいさんの使いだ。殺すわけにはいかない」
月の光もない、深い闇に紛れて浚うのは――。代償は俺の両目でこと足りるか。
覚醒するとどうにも思考が殺伐とする。目的すら忘れて本能に走りかねない。
「今は、まだ。守ってやる必要があったな」
自分でも白々しく感じる偽りの理由を口にしながら、俺は清海に触れた。術を解除するために。
宵の空を仰いでもやはり月はなく、代わりに小さな星の光が静かにあるのみ。通りの灯火もいつしか消えた。
背の傷も塞がりつつある。魔者ってのはつくづく便利な身体だな。人の血を持っていながら人外の能力がある。
致命傷さえ負わなければ傷は塞がる。治らない外傷といえば、一つだけだ。
「……ん。あ……レイ?」
「清海」
「はい? なーに」
耳元近く、しかも完全に覚醒しきっていて感覚の鋭い今は、呑気な声もよく俺の耳に通る。
完全に火葬幻華の効力は消えていた。どうせ殺せないのなら、もう良い。どうにもしない。
「あ、レイ。その目どうしたの、それ」
さすがに気づいたか。俺の瞳は通常時の青でも覚醒時の赤でもないはずだ。
自分の目だからな、推測でしかないが。反対に清海の瞳についてはよくわかる。赤く染まっていた。
「少し視界が悪くなっただけだ」
随分と辺りは暗い。何があるのか少し先のものであってもわからなくなってしまった。
人間の瞳はこんなものだったな、長らく忘れていた。今は闇があたりを埋め尽くしているように見える。
不便だが、またこいつが魔法を放つことに比べれば安いものだ。暫くは耐えるしかない。
「え。視力が落ちると目の色変わるの? レイって」
「……そういうわけじゃない」
知らなくとも別にそれは良いが。説明するのも面倒だ。
俺の瞳の色が変わった原因を知れば、叫ぶだろうからな、間違いなく。
男の俺にはどうでも良いことだが女はやたらとそれに固執する。こだわりもあるのだという。
「あれ……なんだか。前より視界が明るくなってる? ……あ」
ぶつぶつと独り言を呟いていたが、自分が気を失う直前を思い出すと俺の胸倉を掴んだ。
とはいえ、清海は俺に抱えあげられている。地に足がついていなければ、どうにも力は入りきらない。
痛くも痒くもなかった。むしろ、甲高い声のほうが凶器だ。
「殺しちゃダメだっていったのに! 悪くないんだよあの人たちは!」
やはり説教で来たかこいつ……自分の今の状況がまったくわかっていない。
「俺に善も悪も関係ない。追ってくるなら殺すまでだ」
「やっぱりレイって……レイ、だよね」
目の前で大きくため息をつかれた。そこはそうするところか?
予想がはずれた。何がやはりなのか。説教かと思えばくるりと変わった。諦めたのか。
「もー、どうして何も思わないで殺せるかなぁ」
それは普通のことだろう。何を感じることがある。
仇はもう取ることなどない。愚弄な人間になど怒りや憎悪、あきれを感じはない。
魔物は殺すことに悦びを感じるらしいが何が楽しい。力を無駄にしているだけに過ぎない。
「ところで。道が黒焦げなのはどうして?」
「これはお前しか有りえないだろう」
俺にこんな芸当できるか。雷撃一発でいったいどれだけのものが炭になったと思っているのか。
お前は魔法を放った後に目覚めたから知りもしないが、此処ら一帯は血と肉塊の海だったんだ。
それを無に帰した当人が首を傾げるというのは、状況を把握していた俺でも突かずにはいられなかった。
「え、私は魔法なんて使ってないよ! 全然」
「俺とお前の魔力を同じだと思うな。お前の魔法でこの有様だ」
「今まで夢の中にいたのに使えるわけないよ! さっきまでホント目の前に炎の海があったんだから」
それは主に火葬幻華の影響だな。なるほど、生存者には夢の中の出来事だと思えるわけか。
こいつが近くにいる時は例え死人に囲まれていようが火葬幻華を付与した武器は使わまい。
「火の海の中に骸骨がいっぱい居た。叫びながら業火に呑み込まれてて……」
肩がわずかに震えている。よほど恐ろしかったのか。それくらいは恐ろしくもなんともないだろう。
清海にとっては悪夢だったらしい。だが、割り切っていたなら何でもないことで笑うこともできないか。
「でも小さい子がいた。レイと同じ色の髪と目をしてて、一人だけ炎に怯えなかった」
俺と同じ瞳と髪……? 子供を斬った覚えはない。それはしないと決めている。
表通りでは人間を殺したことは一度としてない。真っ当な人間だけ存在するあの空間では。
心あたりがなかった。まさか、ファルがあそこにいたとでも言うのか。
「……遅い」
清海の帰りが遅い。今十時よ? どれだけ道が混んでても六時に出て此処にまだ帰ってこないなんてことないはず。
用事はすぐ済むから心配しないで、ってメーディラさんが言うから大人しく待っているっていうのに。
「あー? 寄り道でもしてんじゃねぇの?」
肉の塊を片手に靖はそう言った。……あんたね、呑気すぎるわよ。そうだってわかってるんなら、なおさら。
「そうかな。あのレイとかいう人、とっつきにくそうだよ」
「ああ、あの不良っぽさそうな? 誰もよせつけないような感じだったわね」
「ねぇ。よく清海もつきあったよねー」
「そうそう」
レリの反論に美紀が同調して、うんうんと頷きあう。
独り言のはずがどんどん四人会話になってるのは何故かしら。……平和すぎるからね。
あたしはフォークをサラダに刺した。食事中だもの、気は緩むわよね普通。あたしが普通じゃないのかしら。
「あれは近づく奴は斬るような奴ね」
そう言ったあとあたしはフォークにさしていたサラダを食べた。
おいしい。ドレッシングがなくても食べられる。野菜が良質だっていう証拠ね。
あたしの横では靖がムシャムシャと肉を食べてる。まただわ、どこまで肉ばっかり食べる気なのよ。
「いっつも靖は肉を食べるよね」
呆れた顔で美紀が靖の小皿に目を移した。幾らかあるお皿の上にあるのは全部、肉主体の料理。
まあ、野菜だけの料理のほうが少ないのは事実だけど。肉抜きで作る料理って手間がかかるのよね。
これだけの人数のために咄嗟で大量に作るとなれば、それも致し方ないわ。
ああ、いけない。どうして自分が作ったわけでもないのに料理で頭を悩ましてるのかしら。
折角家を離れてるのに。家事のことを考えたくないのに考えてるなんて。
「でも野菜だけってのも物足りないよ?」
「だろー? 野菜だけじゃ栄養足りないって」
そう言って靖は相変わらず肉料理に手をつけていた。手羽先もあるわね。手羽先は靖のお腹に数分で収まった。
「よくそんな油っこいもの平気で食べられるわね」
「そういう鈴実は相変わらず手羽先が嫌いなの?」
「こってりしたものとは別に、これはこれで嫌いなのよ」
「おいしいけどなぁ、この手羽先」
「人間誰しも味覚が同じってわけじゃないの」
げんなりとした顔であたしはレリに言った。手羽先だけは、見てるだけで食欲が削がれるのよ。
作ってくれたメーディラさんがいる手前そこまで言うことはしなかったけど。
「そういえば、さっきまで居た人がいなくなってるんだけど」
「――え?」
靖とレリの言葉にあたしの声も重なった。さっきまで居た、あの大剣を背負ってた人のことよね?
おじいさんと女の人は居るけど。いないわね……ホント。一体いつの間に? あたしが気づかなかったなんて。
「まぁ、居てもいなくても変わりないじゃない」
あの人とはただ食卓を一緒に囲ってただけで、会話らしい会話もなかったし。
靖はうずうずしてたけど。どうせ剣のことだからとそれで声を掛けるのはテーブル下で阻止したわ、主に美紀が。
「ちぇーっ。何で誰も気づかなかったんだよ」
剣なら自分だって持ってるでしょうに。本当に剣が好きな奴ね。どこが良いのか理解できないわ。
まあ、そんなことはさておき。他に指摘したいことができたからあの人のことは放置するとして。
「それより靖、まだデザートまで食べるわけ?」
靖はしっかりとデザートも取っていた。そこまで食い意地をはるものかしら。一体どこにそれだけ入るのよ。
「よく言うだろー? 甘いものは別腹って」
「それじゃ女の子だよ!」
そんなこと言ってるから、とレリと靖が口論を始めた。これもいつものこと、気にしない。
「違うわ、正確には牛の腹」
「……そこ、ツッコミ所じゃないわよ」
牛には胃が何個もあるのはホントだけど、それは言うとこじゃないわ。
一瞬、美紀の一言に靖とレリが口を閉じた。だけど聞いてなかったかのように、また料理の取り合いを始めた。
「別に焦らなくてもまだたくさんあるじゃない」
「それはそうだけどー、あっ靖!」
「へへん。レリがとったもん勝ちだって言ったんだろ」
あれだけたくさんあったのを食べてもまだ食欲の尽きないこの二人って一体。
言っておくけど、長テーブルの食卓の上にあった料理の半分はあんたたちの腹に収まってるのよ?
腹八分目という言葉を知りなさい、と言いたいところだけど二人にとっては多分、まだ五分くらいなのね……。
月明かりもない夜道、レイは途惑いもなく迷路みたいな道を進んでいく。
すごいなぁ。真っ暗で何も見えないのに。
この国のお昼でも迷っちゃうくらい入り組んでる道を迷いなく進んでくなんて。
私は置いていかれないようにレイのすぐ後をついていく。さっきまで痛んでいた腰も、あの時よりは良くなってる。
本当はまだ痛むけど、早くカースさんのお屋敷に戻りたいし。レイにそれを言ったところで何にもならないだろうから。
足がときどきふらついて裾を踏んづけそうになった。それに気をつけて歩きながら、私は疑問を口にした。
「そういえば、なんで頬にある傷は治ってないの?」
レイの左頬にある小さな傷。魔者って人間より傷の治り早いんだよね?
本にはそんな感じのことが書かれてたし。
初めて会った時は気づかなかったしよく顔を見ないと前髪に隠れることもあった。
普通、そんなに酷くないならあんなにくっきりと残らないよね? しかもどす黒いし。赤みを帯びてるけど。
「さぁな……俺の知るところじゃない」
深い傷を負ったんならわかるけど、顔に大怪我したら生きてれないんじゃないの?
頬だったら喋るのすら危ういことになるかも。それは魔者とかいうのでも変わらないと思うんだけどな。
「怨みの傷は消えないとは言うが」
ポツリとレイが口を開いた。そんなことってあるの?
「消えないの? ずっと一生、恨んだ人がいなくなっても?」
「呪いは掛けた奴を消せば癒えることもある。だが、それで終るものばかりでもない」
消えることもある、でもそれで終らない。それって矛盾してるような気がするけど。
「確かに、掛けた側の力ならは殺せば自然と消える。だが、掛けられた側は」
ええーと、掛けた人の力。つまり、魔力は掛けた人が死んでしまえば消えると。
でも、掛けられた側? その掛けられた人はその後どうかなっちゃうの?
「掛けた側の理由がそれなりに理解できたのなら問題はない」
「恨みの理由とかを? でもそんなので良いの?」
あ、レイがため息を吐いた。なにその態度。そんなに私は物を知らないって言いたいの。
「呪いは、何も相手から掛けられるものに限らない」
「……よくわかんない」
「憎む相手に付けられた傷は忘れられない。そういうことだ」
「あ、それならわかる気がするかも。それってすごく腹が立つよね」
例え傷にはならなくても。どんなに痛くないものでも、一撃を入れられたと思うと悔しい。
それを思い出すたび無性に腹が立ったりして、なかなか忘れれなくなっちゃう。
後々にして考えれば、大したことでもなかったと思えるような小さなことでもそうだもん。
絶対に忘れられないような、誰がどう見ても理不尽だと判断するようなことなら特にそう。
「忘れることが出来なければずっと残る。付けられた側がそれをしないからな」
「そっか。レイもその傷、消えるようになれば良いね」
どういう経緯で傷ができたのかは知らないけど。私に言えるのはそれくらいだよ。
『ガチャッ』
「ん? さっき、変な音し……うひゃぁっ!?」
レイは返事の代わりに剣を抜く構えをした。ということは、やっぱりなにかいるの?
それを聞こうとしたとき、いきなり目の前に人が現れた。
ど、どど、どこからー!? 上からバッてヒュッって!
「前線を突破した奴らは全て狩った。後処理も必要ない、こいつがやった」
どこからともなく現れた人にレイはそう告げた。知り合いみたいだけど、どなたですか?
というかさっきから急に空気が酒臭くなったような。え、もしかしてこの人から?
「ほぉー、そうかい……ヒック」
あれ? この人まさか酔っぱらってたり……の割には足取りはしっかりしてる。変なの。
あ、ワインの瓶持ってる? 暗くてよくわからないけど、水の揺れる音が聞こえた。
「今回は死体を操る術を持つ奴が混じってる。あの情報は本当だった」
「あー、そうだったか。ク、ご苦労さん。んじゃまぁ後は任せな……ック」
ところでレイとこの人、どういう関係? 敵じゃないのは確かみたいだけど。
あれ、でも持ってよ。敵といえば。最初に聞いたあの音は銃の撃つ直前みたいな音したんだけど。
いやでもまさか。まさか、魔法のある世界でライフルとか狙撃銃が登場したりはしないでしょ。
それでもレイを見ると、視線は喋っている相手とは違う方向を見つめている。
「伏せろ! ――、――――!」
「わぁった! 任せる!」
鋭い警告は銃器が火を噴く音に掻き消されて最初の単語以外は聞き取ることは出来なかった。
散弾の音とともにすごい量の砂煙が舞うと、視界は潰されたも同然だった。どこからこんなに!
「ケホッ。め、目にしみるーっ」
でもさっきのあれ、散弾―っ!? なんでどうしてどうやって!
漫画とかドラマでしか見かけないものが、なんでこの世界に機関銃があるの!?
私は避けるために動こうとしたけど腕を掴まれて身動きが取れなかった。すごい馬鹿力だ。
「こんな時になに!? レ……」
「娘ちゃん、心配するな。あいつは今が最も強ぇから」
「え、よいど……って、それとこれとは関係ないよ!」
じたばたともがく。散弾、散弾が! 日本にいた頃はこんなこと遭遇しなかったのに!
「どうどう。落ち着け、娘ちゃんもそう心配なさんな。此処までは届かんよ」
「……あれ。そういえばさっきから」
散弾の音がするのに、一つも弾は私たちの足下に来ない。それにレイがいない。必ずいると思ったのに。
そういえばさっき、レイがなにか言ってこの人は任せると返事をしていた。
え、待って。じゃあ誰が今、なにをやってるの? 防壁になるような物は建物以外はないのに。
いくら狙うのが下手でも撃てば当たるのが散弾銃の特徴じゃなかったの?
そしてレイはいずこに。もしかしなくても、私の知らないところで動いてるよね。
私が混乱している間に事態は収拾がついた。
殴った音が二つあったような気がしたんだけど。しかもすごく微妙な差。
とにかく、その後は静まりかえって何も聞こえなくなった。
でも、さっきの音は一人が交互に繰り出してたとしても出せる速さじゃない気がするようなしないような。
というと。ちょっとだけ、私はまさかという思いが巡った。だって、あのときだって。
「ほぉら、もうカタがついた。あいつはいつも良い仕事をやってるよ」
この人が言う良い仕事っていうの、良い仕事な気がしない……うん。気のせいじゃなくて。
だえど、砂煙がなかなか晴れない。一体なにが起こったんだろう。レイ、大丈夫かな。
もしもこんな時に誰かに襲い掛かってこられたらどうしよう。今の格好は動きにくいのに。
「……?」
「おいおい……ィッ。あいつは一体何してるんだ」
ヒックヒックと酔いどれさんはしゃっくりを上げながら言う。なんか緊張感のない人だなー。
横にいるのがこの人だけかと思うと、一人でいるよりも心細くなるんだけど。
『キィン』
「え、さっきの音って」
剣がぶつかりあうような音したんだけど。ほら、また二回三回と。
「なに? こんな近くで……」
「娘ちゃん、魔法撃つ準備しときな。いつでも撃てるように」
「……?」
「ほれ、早く。風使いなんだろう、話には聞いてる」
いや別にどうして魔法が使えること知ってるの、って頭を傾げたわけじゃないよ。
いつでもできるようにって、どうやって。言ってすぐに発動じゃなくて?
「風よ集え」
続きを言おうとすると酔いどれさんに妨害された。
「違う。まず最初に留めるための言葉を並べるだろう。まさか習ってないのか?」
「習うって、そんなこと習えるものなの?」
「……まぁ、良いこの際。いいか、俺の言う通りに唱えるんだ。虚空の前にて舞わん」
あ、脱力―って顔してる。まぁ今は良いや。そんなこと気にしてる場合じゃないし。
「虚空の前にて舞わん」
あ、そういえばさっき娘ちゃんって言われた。娘ちゃんって……そう呼ぶこの人は一体いくつなの?
「時の流れを読めよ色の風」
「時の流れを読めよ色の風」
言葉の意味わかんなかった。まあ、それはいつものことだけど。
「で、あとは普通に魔法を唱えろ」
「風よ集え、エアー・カッター!」
言ったけど魔法は発動しなかった。え、呪文は間違えてないよね? いままで言い間違えたことないし。
一番短い呪文だもん。噛むこともないし一度言ったら覚えられるよ。
「あとは発動させたい時にその線を切れ。線を切った瞬間に発動する。ィック」
「線?」
「娘ちゃんの頭上にあんだろ、円陣。それをプチッと切ればいーんだ」
やっぱり娘ちゃん……なんでそんな呼び方? えーと、それよりも頭の上の円陣……あ、あった。
緑色に発光してる円が空中に浮いていた。でもこれじゃ切りにくいよ?
「触れてすぐ切れるほどやわじゃない。指にひっかけて寄せることもできる」
試しに私はおそるおそる円陣にひとさし指で触れてゆっくりと動かしてみた。
「あ、すごい!」
感触とかはないんだけどちゃんと指の流れにそって円陣がついてくる。
私はいつでも切れるように右肩近くに円陣を寄せた。良いこと知ったなー。
「さて、そろそろ来るか……ヒック」
酔いどれさんはワインの瓶を路上に置いて構えを取った。拳法家? 酔ってて大丈夫かな。それとも酔拳専門?
剣のぶつかり合う音がやんだ。でもいまだに砂煙が晴れないのが私を不安にさせた。
砂煙にシルエットが映った。私は円陣をいつでも切れるようにぐっと握りしめた。
「ッケホ……あいつは一体何をやってるんだ」
咳こみながら砂煙の中を抜けてきたのは、ルシードさんだった。
驚きつつも、私はやっぱりって思った。あの誰かを殴る二つの音は、レイとルシードさんだったんだ。
私と酔いどれさんに気づいて一瞬ルシードさんの表情が厳しくなった。
「ルシードさん?」
「ここは任せておけ。連れが心配していた」
「え? 鈴実たちがですか?」
わざわざルシードさんが私の迎えに来た、ってわけじゃないよね?
ここ、かなり道が入り組んでるんだもん。探しに来て見つけれる場所じゃないよ。
「なんでここにルシードさんが」
「厄介なことになる。良いから、行け」
ルシードさんは僅かに笑みを見せてくれた。それは、少しでも私が安心できるように?
こんなときでもルシードさんは気遣いのできる人だった。それが今の状況では、どんなにか頼り思えたことか。
私は自然と頷いていた。
「よっしゃ此処はこの兄ちゃんに任せるとしよう。ほんじゃトンズラ!」
「え、あっ。待ってよー!」
酔いどれさんは置いていたワインの瓶を持って砂煙とは反対方向に駆け出していった。
ちょっと、本気で走らないで! 全力疾走しようにもこのロングドレスじゃまともに走れないよ私は!
必死で酔いどれさんの後を追う私に、振り返るだけの余裕はなかった。
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